[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
タビーちゃんのSSよりリレー方式の様になってしまいましたがルシエラ視点
何時もよりは少々長めです
(『日常』というものは彼女にとって大きい。)
静かに手を髪から離せば耳に入るのは小さな寝息。
どうやら今度は本当に眠ったらしい。
普段は昼間にしか会わないから当然こうしてあどけない寝顔も見るのも初めてだ。
ほんの僅か、陰りを含んだ様子に理由は大方予想が付いた。
……それは誰の根底にも根付く物なのだろう。
ただ、私達が置かれている立場上それは一般人よりは日常に近い場所にある。
それ故、もしかしたら自分にも言い聞かせていたのかもしれない。
『もうすぐ、僕もかわるよ?』
と。
大切な内緒話を打ち明けてくれた笑顔は、何処か何時もと違って。
今思えば、タビーはタビーなりに自身の変化を―あの離別を―薄々感じ取っていたのでは無いかと思う。
『見守っていてね?』 とも、云われはしたが、多分頼まれなくともきっと見ていたのだろう、私は。
予兆という程大袈裟なものではないが
『タマネギが、目に染みた』
なんて一番分かり易い誤魔化し方は、真っ直ぐな彼女の精一杯の虚勢の様に思えた。
明るく、一生懸命、笑顔、元気、そんな言葉で彩られることが多い彼女だが
勿論、それだけでは無い事も知っているつもりだ。
変化の全てを紐解く事は出来ないだろう。
それでも常識として知られている仕組みと、自分なりの考察を繰り返し辿り着いた結果は。
何も、起点が特別に変わった訳ではなく。
それを護り、時にはに導き、不器用ながらも純粋に彼女を想っていた何かがその役目を終えたのでは無いだろうかと。
そして、物理的に離れはしたが、きっと今も何処か…我々が決して交わることの出来ない世界できっと見守り続けているのだろう。
無論、憶測の域を出ないが合っていようがそうで無かろうが別に構わない。
真実は彼女が知っていれば良いし、それを受け止める事が出来たのなら尚更だ。
それは、彼女だけの特別な物なのであるのだろう。
年の終わりの一人との別れに、初めて自分の為に泣いた時には
必死に自分なりに精一杯の事をしようとしている様に見えた。
最初は敢えて何も言わなかったが、自分でそれを打ち明けてくれたのはとても嬉しかったのを覚えている。
…確かに人の涙をみて「嬉しい」と思うのは何処か滑稽かもしれない。
流石に母親になった事は無いが、姉であった経験なら多少の期間であったがある。
どういう形であれ、慕ってくれるのであればそれにきちんと向かい合いたい。
何時も思って居るのはもうきっと知られているのでは無いかと流石に思うので。
それはアルやカノン、他の子達にも同じだけれども。
……流石に自分も眠らなければ、と。もう一度挨拶を口にする。
今度は同じ様で少しずつ豊かに変化する日常が訪れると良いと願いを込め。
『お休みなさい”また、明日”』
(―kanon ある旋律をそのままに、だが少しずつ豊かに模倣しながら追いかけていく、対位法的な楽曲形式―)